成道寺は、もともとは“満留山(まるやま)”というところにあったとされ、成道寺の南東に位置した。その満留山に、臨済宗・銀露山・鶴松寺があった。(右写真:井戸田・旧長福寺、鶴松寺から移転)
現在の成道寺の地は、応仁時代、成田縫之助時重が旧鎌倉街道沿い(当寺南・東南の道)に築城した取隅城(とりすみじょう)があった。(取隅は現在では鳥栖として地名に残っている)その取隅城(鳥栖城)の城主・成田家の菩提寺が鶴松寺であった。尾張志によれば、天正2年(1574)春公和尚の時、改宗されたともある。
これより200年後の安永時代に、鳥栖城主・成田甚右衛門は、「和を愛する」として、徳川家に禄高を返上し、刀を折り、武士を放棄して農民となった。
安永3年(1774)、熱田秋葉山・円通寺15世代和尚の法地再興のねがいによって、曹洞宗・成道寺と改号せられた。(尾張徇行記)成田家は、菩提寺の廃寺を危惧し、鳥栖城跡に芳樹山・成道寺を再興したのである。
また、言い伝えによれば、中根村の某寺と合併されたとも聞く。
成道寺には、鳥栖城主成田公夫妻の墓標があり“夫婦地蔵(めおとじぞう)”として親しまれている。地蔵菩薩の右に「鳥住伝心浄本菴主」、左に「永正十二年乙亥正月十二日」、夫人像下には「慶林大姉」と刻まれている。(右図参照)
昭和43年(1968)名古屋市文化財に指定されている。
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→歴史3:歴代の住職
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